仙石原自然探勝歩道を歩こう、自然と歴史あふれる緑の中へ!
仙石原自然探勝歩道は、仙石原と箱根の自然を体いっぱいに感じるハイキングコースです。さあ、お弁当を用意して出かけましょう!!
自然探勝歩道から大涌谷と冠ヶ岳・神山(2018年4月29日撮影)
この記事の目次
【箱根歩きの入門編コース】
仙石原自然探勝歩道は全長約8.0km。芦ノ湖北岸から古期外輪山沿いに、仙石原をつなぐハイキングコースとして整備されています。適度な距離と傾斜があり、心地良い汗を流せるでしょう。
豊かな緑の中、さまざまな動植物にも出会える仙石原自然探勝歩道。ここでは仙石原からバスで移動し、芦ノ湖北岸をスタートして仙石原へ向かうコースを進みます。
仙石案内所前バス停、左上は大涌谷(2022年4月30日撮影)
【仙石原から出発点へはバスで】
まずは仙石案内所前バス停から、箱根登山バス「湖尻桃源台行き」に乗車します。
降車するのは終点の「桃源台」か「箱根レイクホテル前」でも良いですが、ここでは3つ前の「白百合台」で降り、箱根ビジターセンターを見学して行きましょう。
2024年5月3日現在、仙石案内所前バス停の時刻表
【自然情報をキャッチして出発】
箱根ビジターセンターは国立公園・箱根の自然情報発信施設。さまざまな情報や資料を入手したら、いよいよコースへ向け出発です。
目の前を通る神奈川県道75号を車に注意して渡り、少し入れば「子どもの広場」と呼ばれる芝生斜面の広場。向かいには鉄塔の建つ丸岳が見えるでしょう。
今日はあの山の下を、左から右へ横切るように歩きます。
子どもの広場前の標識(2022年5月3日撮影) 箱根高原ホテル前(2022年5月3日撮影)
広場に入らず左へ続く道を進んでもOK、広場を下り「野鳥の森」を進んでもOK。箱根高原ホテル前の連絡道路で合流します。(車の出入りに要注意)
道路から白百合台園地へ入れば、左に昭和天皇・香淳皇后 御手植樹。
1949(昭和24)年4月4日に植樹(2022年5月3日撮影)
こちらから園地内を進み芦ノ湖キャンプ村前を右折してもOK、右側の「つどいの原っぱ」を通り抜けてもOK。芦ノ湖北端の湖尻新橋で合流します。
左には湖尻水門と芦ノ湖が見え、右正面には箱根湖畔ゴルフコースのクラブハウス。ここが仙石原自然探勝歩道の出入口です。
【いよいよコースへ入ろう】
このコースは前半部分が仙石原サイクリングコースと併用しているため、ときどき自転車が通過してくることもあります。
まずは箱根湖畔ゴルフコース管理兼用の道を、耕牧舎跡へ向かいましょう。右に早川を見ながら進むと、やがて道は鬱蒼とした広葉樹林からヒノキ林へと入ります。
途中、右側の展望が大きく開け、箱根カントリー倶楽部の向こうに丸岳~金時山~明神ヶ岳の古期外輪山や、台ヶ岳~冠ヶ岳~神山の中央火口丘、噴煙上げる大涌谷が手に取るように望めます。
再びヒノキ林を抜ければ、湖尻新橋から約45分で耕牧舎跡に到着。ここでお弁当にしましょう。
ヒノキ林を抜けると耕牧舎跡まであと少し(2022年5月3日撮影)
【かつて栄えた牧場の跡】
仙石原にはかつて牧場がありました。
大実業家・渋沢栄一が1880(明治13)年、従弟にあたる須永伝蔵たちと協力し、仙石原から芦ノ湖にかけ面積700haに及ぶ牧場・耕牧舎(こうぼくしゃ)を開きます。
日本に羊毛製品が必要と感じるなど、世界の文化を取り入れようとした渋沢栄一は、約500種の羊を飼いはじめますが、やがて牛や馬の牧畜も手掛けました。
既に避暑地として栄えつつあった仙石原。当時はまだ珍しかった牛乳・バター・牛肉などは、観光に訪れた海外の人々に賞味されたのです。
しかし火山性土壌のため牧草が育たなくなり、芦ノ湖から水が供給されない状況に陥ります。牧場は次第に経営難となり、現地支配人だった須永伝蔵は急逝。そして1905(明治38)年に廃業となったのです。
その後、渋沢栄一たちは大涌谷から引湯することに成功し、仙石原は温泉地として発展しました。ここ耕牧舎跡には、牧場経営に尽力した須永伝蔵を称える石碑が、静かに往時を物語っています。
尚、耕牧舎跡では丸岳・長尾峠方面からの登山道が合流します。
【花々や野鳥にいっぱい出会う】
仙石原自然探勝歩道では四季を通じ、多くの花々や生物に出会えます。代表的な草花や樹木の花、野鳥をご紹介しましょう。
ヤマザクラ(2010年4月25日撮影) クサボケ(2015年4月30日撮影)
タチツボスミレ(2017年4月20日撮影) ニョイスミレ(2015年4月30日撮影)
オオルリ(2022年5月3日撮影) キビタキ(2016年4月30日撮影)
シシウド(2010年7月31日撮影) ノリウツギ(2010年8月1日撮影)
リンドウ(2014年10月25日撮影) リュウノウギク(2016年11月13日撮影)
【仙石原へ向けて再出発!!】
さあ、昼食と休憩を終えたら、再び仙石原へ向け出発しましょう。これまでは平坦な道が続きましたが、ここからは坂道の上り下りが数ヶ所あります。
耕牧舎跡を出発して5分ほど行くと、道が左右二手に分かれます。
右の道はサイクリングコースで、お急ぎならばこちらを行くのがおすすめ。ここでは左の道へ進み、コース初めての上り坂となります。
左の山側には箱根町と神奈川県森林連合会が進める「植樹転換事業」の植林。坂を上りつめて林を抜けると、突然右側の展望が開けます。
林の中の坂を上る(2022年5月3日撮影) ヒノキ林の中を行く(2022年5月3日撮影)
【箱根の火山活動を想う場所】
冠ヶ岳に神山・大涌谷の眺めは、約2,900年前の冠ヶ岳と大涌谷の誕生、そして流下する大規模な火砕流が、芦ノ湖や仙石原を誕生させた・・・火山活動の凄まじさを想起させてくれるでしょう。
【ここにも火山活動の痕跡が】
道はゆるやかに下り、大箱根カントリークラブの横を通ります。この付近からはかつて「ダルマ石」が見えました。ちょうど丸岳の山腹にたたずむ大きな岩石。
これは前述した約2,900年前の火砕流で、大涌谷の方から激しく流れ下ってきた岩石が、古期外輪山までやって来たものです。しかし近年は樹木が成長し、見ることはやや難しくなりました。
やがて再び道が分岐し、サイクリングコースと合流します。富士屋仙石ゴルフコースの横で三たび分岐点。サイクリングコースを進んでも仙石原へ行けますが、ここでは右の石だたみへ入りましょう。
サイクリング道と合流(2022年5月3日撮影) ヒノキ林の石だたみへ(2022年5月3日撮影)
【森の中に現れる不思議な池】
小川の流れるヒノキ林と、背の高いハコネダケの間を抜ければ、またも道が分かれます。まっすぐ進めば早川沿いの道ですが、左奥にある温湯(ぬくゆ)の池を見に行きましょう。
温湯は名称のとおり、年間を通じ水温が22℃~24℃という湧水池。大涌谷の地熱が要因と考えられており、ここにも箱根の火山活動が感じられるでしょう。
日陰と日なた2ヶ所の池があり、森の中に独特のたたずまいを見せます。
【金時山を見ながらフィナーレ】
ここから少し進めば早川沿いに続く道。川を右に見ながら進み、橋を渡って右折し、再び川を右に進みましょう。橋の向こうには金時山、さらに左へ長尾山・丸岳が大きくそびえます。
坂道を一つ越え、左の林へ入って石だたみを上り詰めれば、やがて仙石原浄水センターの前。コースも終盤を迎えます。
早川の流れ(2022年5月3日撮影) 早川沿いの上り坂(2022年5月3日撮影)
最後の上り坂(2022年5月3日撮影) 湿原通りへ出る(2016年4月30日撮影)
【ぜひ寄りたい箱根湿生花園】
別荘地を標識に従って進み、やがて湿原通りへ出て左進。10分ほど歩いて右へ入ると、終点の箱根湿生花園に到着します。
箱根湿生花園は1976(昭和51)年にオープンした日本初の湿生植物園。仙石原の湿原環境を活かしており、日本全国や海外の山野草など、実に1,700種類の植物が観察できます。売店やお食事処・展示室も用意されているので、ぜひ見学して行きましょう。
箱根湿生花園からは湿原通りを約10分歩けば、神奈川県道75号線に合流。仙石案内所前バス停はすぐそこです。
【仙石原と須永伝蔵さん】
みなさま、仙石原自然探勝歩道はいかがでしたか? 途中でお弁当を食べた耕牧舎跡には、かつて牧場が広がっていました。
この牧場経営に尽力した人こそ須永伝蔵さん。火山性の土壌や、箱根用水をめぐる対立で水が供給されない状況下、牧畜業に毎日汗を流しました。
地元の人々からも慕われ、当時の仙石原村・二代目村長を務めたほど。
現在の芦ノ湖北岸・湖尻水門に仙石原へ水が行かないよう築かれた堰を、農民たちと共に破壊する実力手段に出たことさえあります。
しかしその反面で、海外から訪れた人々に新鮮な牛乳やバターをごちそうするなど、確かな実績も上げていたのです。
対立と動乱の中、志半ばで亡くなった須永伝蔵さん。後に牧場は廃業し、仙石原は新たに温泉地として栄えます。これを成功させた人こそ、須永伝蔵さんの従兄で牧場経営を依頼した渋沢栄一さん。
仙石原が温泉地として発展したのは「弟に無理をさせて申し訳ない」という悔恨と「このままではすまされない」という、渋沢栄一さんの想いなのかもしれません。
【仙石原自然探勝歩道の基本情報】
●区間…湖尻新橋~箱根湿生花園
●全長…約8.0km
●標高…740m~650m
●所要時間…約2時間25分
湖尻新橋(45分)耕牧舎跡(60分)温湯(20分)仙石原浄水センター前(10分)湿原通り(10分)箱根湿生花園(仙石原から出発してもほぼ同じ)
●箱根ビジターセンターから湖尻新橋までは約20分
●富士箱根伊豆国立公園
●神奈川県足柄下郡箱根町